第五回研究会 抄録
【特別講演】
脳の可塑性とリハビリテーション 久保田 競 先生 日本福祉大学情報社会科学部
【一般演題T】
1. 半側空間失認の衝動性眼球運動からみたdirectional hypokinesia
沼田憲治(昭和大学医療短期大学)
2. 脳機能の神経科学(神経生物学)研究 〜理学療法の立場から基礎医学研究に携わって〜
小倉太一(北里大学大学院 脳機能研究)
3.前頭葉症状を呈した片麻痺患者のアプローチの検討
杉 潤(千葉県千葉リハビリテーションセンター)
【一般演題U】
4.歩行課題における知覚−運動行為
豊田平介(国際医療福祉大学大学院 医療福祉学研究科)
5.片麻痺患者の知覚認知
小笹佳史(昭和大学藤が丘リハビリテーション病院)
6.脳幹損傷と注意障害
村山尊司(千葉県千葉リハビリテーションセンター)

脳の可塑性とリハビリテーション
久保田 競
日本福祉大学情報社会科学部
脳の働きが変わるのは,シナプスで機能と形態が変わるためであること,つまりシナプスの可塑性(neuro-anatomikal plasticity)によることが,1980年ごろまでの神経生理学の研究で明らかにされてきた.その後,研究は老人や子供にも適用され,1990年代になって,発達と老化で脳の働きが変わるのもシナプスの可塑性によることが明らかにされた.20世紀も終わりに近くなって,可塑性の研究は,脳に障害や病気のある場合に広がり,障害や病気があっても,脳の働きが変わるのはシナプスの可塑性によることが明らかとなった.機能回復のためリハビリテーションを行う場合,シナプスの可塑性と対決することになる.いまや,リハビリテーションに携わるものは,神経生理学を勉強しなければならない.また,神経生理学だけでなく,他の神経科学の分野の成果を利用して,経験的に行われて来た治療法に科学的根拠を与え,科学的治療法を開発しなければならない.
本講演では,感覚入力に誘導されて,運動をする場合,神経系に起こっていることを,正常な場合と障害のある場合とで説明する.解りやすくするため,大脳皮質と脊髄の話に限る.
1.随意運動はどのように行われるか.教科書的な説明をまずする.感覚系と運動系の階層性について説明する.最近の教科書としては,Kandel, E.R.,Schwartz,J.H., and Jessel,T.M. Principles of Neural Science. Fourth Ed. McGraw−Hill,New York, 2000をすすめる.日本語で書かれたものでは,松波謙一・内藤栄一「運動と脳」,サイエンス社,2000年や丹治順「脳と運動」共立出版,1999年がすすめられる.
2.大脳皮質にある神経細胞は,錐体細胞と介在細胞に分けられるが,前者は興奮性細胞でグルタミン酸が伝達物質であり,後者はギャバが伝達物質である.脳の働きが変わるとき,これらの物質のシナプスの性質が変わる.前者のメカニズムはかなり解明されてきた.後者の研究は緒についたばかりである.
錐体細胞が働いて,シナプス結合が強くなる時,グルタミン酸が分泌されて,AMPAレセプターに結合して,脱分極を起こし,活動電位を次の神経細胞に伝える.同時にNMDAレセプターが働いて,Caイオンを流入させて,cAMP,CREBなどが働いて新しくシナプスが作られる.その結果,働きが変わることになる.もしも局所血流が断たれると,錐体細胞が酸素不足のため死ぬが,その時に大量のグルタミン酸が分泌される.その結果,結合する神経細胞に脱分極が起こり,神経細胞が死ぬ.もしも多数の神経細胞に脱分極が起こると,細胞外で大きな脱分極電位が記録される.この電位は周辺へ広がっていき(拡延性抑圧),死ぬ錐体細胞がふえる.このときに,錐体細胞を働かせると,多くの錐体細胞を死なせることになる.局所血流遮断が起こって,2週間は錐体細胞を働かせないほうが良い.2週間を過ぎて働かせると,周囲の錐体細胞が死んだ錐体細胞の持っていた働きをするようになる.働かせるほど,シナプス結合は強くなる.
3.感覚系では感覚入力を繰り返しうけると,シナプス結合ができ感覚,認知,記憶が可能となる.運動系も繰り返し運動行動がおこなわれて,シナプス結合が出来て,運動行動が可能となる.今まで出来なかった運動ができるようになることを運動学習と云うが,シナプス結合ができることが背景にある.
4.運動野と体性感覚野では,使われることに依存して,神経細胞の性質や領域の広さが変わる.
5.脊髄損傷のあとでも,歩行をすることで,上位中枢からの支配ができ歩行が可能となる.この時,速く回復させる薬物がある(例えば,クロニジン).
【一般演題T】
1. 半側空間失認の衝動性眼球運動からみたdirectional hypokinesia
沼田憲治(昭和大学医療短期大学)
現在考えられている半側空間無視(USN)のメカニズムの一つに四肢のdirectional hypokinesia(一方向運動減退)説がある.本研究では,眼球運動におけるdirectional hypokinesiaについて検討した.対象はUSN患者6名,および比較対照として健常者5名,右半盲患者3名とした.実験には視標追跡課題を用い,その時誘発される衝動性眼球運動(saccade)をEOGにより記録し,眼球運動開始の反応時間,視標到達時間,saccade速度を計測した.反応時間および視標到達時間の結果は,USN患者,右半盲患者とも,それぞれの無視側,半盲側方向の動きに時間的遅延がみられた.左右方向のsaccade速度の差異は右半盲患者には認められなかったが,USN患者には無視側方向に明らかな低下が認められた.この結果はUSNのdirectional hypokinesia説を眼球運動からも裏付けるものであったといえる.詳細については考察を含め発表時に述べる.
2. 脳機能の神経科学(神経生物学)研究
〜理学療法の立場から基礎医学研究に携わって〜
小倉太一(北里大学大学院 脳機能研究)
脳機能を研究する上で重要なことの一つは,神経系のネットワークとそのメカニズムを理解することである.また現在,脳内神経系において「興奮性神経機構,持続的抑制機構,脱抑制機構」はこれらを理解するうえで重要なキーワードであり,脳特定領域,および領域間はこのようなメカニズムにより,ある情報を伝播,保持,ときには防止するという脳機能特有の機能を遂行することが可能になると思われる.大脳辺縁系の一部をなす海馬系は解剖学的,または生理学的にこの3つのキーワードをよく現している脳領域の一つである.またこの系は動物の記憶過程に関する情報の伝播,保持,選択に関与していると考えられているため,海馬系は脳機能を研究するにあたって重要な神経系モデルである.
そこで今回,理学療法という分野から,基礎医学系神経生理学を学ぶ一人として,脳領域〔海馬系〕の制御に注目した一例を紹介したいと考えている.実験は動物(ラット)を用いて特定脳領域(海馬)の活動様式を他の脳領域の活動を制御することにより改変できるということを検証した.この結果より海馬は上記3つの神経機構を基本にしたメカニズムにより制御され,その入出力のバランスにより海馬はその活動様式を多様に変化させることが示唆された.また,このことが現時点考えられている海馬の機能「記憶」のメカニズムの基盤となると考えられた.
3.前頭葉症状を呈した片麻痺患者のアプローチの検討
杉 潤(千葉県千葉リハビリテーションセンター)
本日VTRで紹介する症例はクモ膜下出血(前交通動脈瘤破裂)と左頭頂葉梗塞を併発した右片麻痺患者である.本例は発症後4ヶ月時点で意識清明なものの発動性低下が顕著で,従命行為も全く無反応を示し,日常生活動作も全面介助を要した.しかし触覚・視覚刺激に対して運動(主に左上肢)が誘発され,行為も変化するという特徴がみられた.CTより両側の前頭前野及び前頭葉内側面,左頭頂葉に低吸収域を認めたことから,神経心理学的徴候として失語や発動性の低下に加え,左手の病的把握現象(本能性把握反応)が推察された.筆者は以前,視覚呈示条件によって把握した物を放すなど,条件設定によって手の反応に変化を示す本能性把握反応例を経験した(本研究会誌「脳科学とリハビリテーション」第1巻に掲載).そこで今回,触覚・視覚を誘発刺激としたアプローチを試み,結果的にこのことが運動・行為を促す手段として功を奏した.このことから発動性低下の顕著な本能性把握反応例においても,感覚刺激は運動・行為を誘発し,その導入方法を考慮することで治療方略の一つとなり得ることが示唆された.
【一般演題U】
4. 歩行課題における知覚−運動行為
豊田平介(国際医療福祉大学大学院 医療福祉学研究科)
私たちは日常の生活において何の戸惑いもなく行為をしている.このことは私たちが日常的に,ある特定場面において,その行為が可能かどうかを知覚しているに他ならず,環境の特性と自己の行為遂行能力についての情報を同時に知覚しているということである.その中で移動手段としての歩行は平面や側面をもった構造物の中をぶつかることなく移動していく.このような適応的な歩行は環境の特性と身体との間の適合性により決定されると考えられる.
理学療法を行っていく上でも歩行は一つの課題である.今回,歩行中,課題として通り抜けられる隙間に対して視覚的判断と行為との直接比較を健常者と成人片麻痺者に行い,それぞれを比較・検討した.結果としてある特定の行為が限定的に設定されたとき,それが可能か否かが行為者自身の身体の特性を参照したかたちで知覚されることが示されたので,ここに報告したい.
5. 片麻痺患者の知覚認知
小笹佳史(昭和大学藤が丘リハビリテーション病院)
一般に脳卒中片麻痺患者は,運動障害と共に感覚障害を呈していることが多い.また,環境刺激の変化により,感覚刺激に対する知覚認知が健常者より,影響を受けやすいことは臨床経験上感じられる.この原因の一つとして,知覚認知に対する注意の集中があると考える.さらにその知覚認知が,立位や座位,立ち上がりや歩行など両側で活動する下肢において,麻痺側肢と非麻痺側肢で異なっている可能性があり,このような左右の知覚認知の違いは,下肢における体重の支持および立位運動に大きな影響を及ぼしていると考えられる.
今回は,健常者と片麻痺患者(歩行可能レベル)を被験者として,また,座面の安定性の違いを環境刺激の変化とし,知覚認知を足部外果の電気刺激として調査したので報告する.
6. 脳幹損傷と注意障害
村山尊司(千葉県千葉リハビリテーションセンター)
脳損傷後は多かれ少なかれ何らかの注意障害を伴うとされる.特に右半球損傷や前頭葉損傷と注意障害の関係は広く知られているが,脳幹損傷例も詳細に評価すると全般性注意障害を伴うことを経験する.一般に脳幹の機能は意識の維持,覚醒と睡眠の調節,運動系・知覚系への調節,呼吸中枢・心血管系中枢の働きがある.注意−覚醒水準については脳幹網様体から大脳皮質の広い範囲に投射する上行性網様体賦活系や,脳幹に起源を持ち脳の広い領域に投射する細胞群(青斑核,縫線核,外背側被蓋核など)が関与している.なかでも橋上部背側被蓋に位置する青斑核は全般性注意の選択的注意機能との関連性が指摘されている.そこで今回は,脳幹損傷と全般性注意障害との関係を調べるために,画像所見から病巣の同定を行い,種々の注意障害検査法(数字順唱.Weintraub抹消課題.audio moror method)を用いて2例の脳血管障害による脳幹損傷例を比較検討した.画像所見では2例ともに左橋背側部に病巣を認め.注意障害検査の結果はいずれかの検査課題で異常所見を認めた.
注意機能は様々な心理的機能の基盤であり,その障害は脳損傷後の多くの認知障害や行動障害を引き起こすといわれる.今回の結果からも脳幹損傷患者の注意機能を評価することは臨床的にもその意義は大きいと考える.